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【あやめ日記】當麻寺「練供養会式」

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創業の地【奈良の魅力】をご紹介するあやめ日記、今回の舞台は奈良県の北西部に位置する葛城市の當麻寺です。

奈良時代にタイムスリップして、中将姫伝説と伝統行事「練供養会式」をご紹介します。

 

 

中将姫伝説 ー祈りの糸で織り上げた曼陀羅ー

「中将姫」をご存じでしょうか。

藤原鎌足の孫にあたる藤原豊成の娘として生まれ、幼い頃に実母と死別します。父が迎えた後妻、中将姫の継母は、聡明で美しい中将姫を疎ましく思い、ついには配下に命じ、中将姫の命を狙います。

中将姫を幼いころから姫を知る配下は、宇陀市の山奥まで連れ出しますが、刀を降ろすことができず、すべてを打ち明け、山奥で匿うことに。

数年後、父豊成が狩りのため訪れた室生の山中で、すっかりやつれた中将姫に出会います。父によって都に連れ戻されるも、人の業の深さを嘆き、母に会いたい一心で中将姫は出家を決意し、當麻寺へ向かいます。

當麻寺で修行に勤めていたある時、老尼が現れ、蓮を集め糸を紡ぐように告げます。糸を紡ぐと若い女人が現れ、中将姫は女人の助けを得て、一晩で色鮮やかな織物を織り上げます。この織物こそ、當麻寺本堂の本尊「当麻曼陀羅」です。

中将姫を導いた老尼は阿弥陀如来、若い女人は観音菩薩と伝えられています。当麻曼陀羅によって仏の教えを説いた中将姫は、曼陀羅を織り上げてから12年後、29歳にして阿弥陀如来と二十五菩薩に導かれ、極楽浄土に旅立ちます。

このときの模様を再現したものが「練供養会式」です。



荘厳な縁日の模様をレポート

練供養会式は西暦1005年に始まり、これまでに1000回以上開催されている伝統行事。

コロナ渦で菩薩の数を減らすなど規模を縮小して行われていましたが、今年は4年ぶりの通常開催となり、多くの人でにぎわっていました。

 

 

練供養会式では「浄土」に見立てた本堂と、「現世」を表す娑婆堂(しゃばどう)をつなぐ約120mの木の橋「来迎橋」がかけられます。

 

 

午後4時、読経の後、練供養が始まります。まずは本堂から中将姫の像を乗せた神輿が来迎橋を渡ります。

次に、娑婆堂から本堂に向かって、花弁の形の色紙を撒いてお清めする「散華(さんげ)」が行われます。

 

 

僧侶の方々が本堂から来迎橋を渡り、稚児行列が続きます。

稚児衣装に身を包んだお稚児さんたちが愛らしく華やか。

 

 

いよいよ金色の面の二十五菩薩がお見えになります。

 

 

蓮台を左右にすくい上げる所作を繰り返して進む「観音菩薩(すくい仏)」。

 

 

合掌しながら左右に屈んで上がる所作を繰り返す伊勢菩薩(おがみ仏)。一歩ずつ踏み込む足音が響き、力強い迫力を感じます。

 

 

来迎橋を下られた先の娑婆堂にて、読経の中、観音菩薩が中将姫の像を蓮台に遷されます。

中将姫を蓮台に乗せた観音菩薩を先頭に、来迎橋を上って極楽浄土に向かわれます。

 

 

二十五菩薩のきらびやかな衣装は、今回、江戸時代に作られたものを復元新調したとのこと。

 

 

当時の女性たちの祈りに思いを馳せて

中将姫の物語は広く語り継がれ、絵巻・謡曲・浄瑠璃・歌舞伎など、多くの作品が残されています。

「男性に生まれ変わらないと女性は往生できない」とされていた時代、”女性”のまま極楽浄土に迎え入れられた中将姫の伝説は、女人往生の祈りとともに全国各地に広まり、当時の女性たちの憧れだったのかもしれません。

 

当日はあいにくの曇天でしたが、晴れていると西にそびえる二上山に夕日が沈み、黄金の菩薩の行列が厳かに輝くその様は、まるで極楽浄土のよう。行列を見送りながら、極楽浄土でついぞ母に再会したであろう中将姫に思いを馳せました。

 

 

*当記事は社寺の由緒等を元に作成しておりますが、見解・学説等の相違についてはご了承ください。

 

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