【Vol. 12】生理用品の歴史 PART2
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こんにちは!
前回に続き、日本の生理用品の歴史についてお話ししたいと思います。諸説ありますがどうぞお付き合いくださいませ!
昭和(戦前~戦中)
せっかくヴィクトリア月経帯(詳細は前回ジャーナルご参照)が普及したにもかかわらず、昭和に入り第二次世界大戦が勃発すると、多くの物資が生産・流通を統制されると共に、月経帯に使われていた脱脂綿やゴムも対象となりました。そして女性たちは、その代用品としてチリ紙(京花紙など)の使用を余儀なくされることになります。華やかであった月経帯の広告も、どんどん質素なものとなっていきました。
そこで、陸軍省が商工省に脱脂綿の代用品の開発を依頼し、紙綿(かみわた・しめん)という紙に特殊なシワ加工を施して水分を吸収しやすくしたものが生まれました。しかしそれさえも十分には行き渡らなかったそうです。
戦時下の激しい労働や防空演習にかり出された女性たちは、使用済みの脱脂綿やボロ布を膣に詰め込むいわゆる現在のタンポンのような方法を取るようになりましたが、もちろん不衛生なので感染症などのリスクが高かったのです。栄養不足や空襲のストレスなどが原因である『戦時性無月経』というものも存在し、経血が出なくて逆に助かったと感じる女性も多かったと言います。大切な月経なのに、来なくてよかったという考えにさせてしまったなんて、改めて戦争の残酷さを思い知らされますね。
昭和(終戦直後)
終戦後の1948年、紙綿製の統制が解除になりました。また、1951年に脱脂綿が統制解除となり、ここから再び生理用品が普及していきます。
1950年代に入ると『カット綿』が登場し、『ゴム引きパンツ』と呼ばれるものと一緒に使われるようになりました。
↑マチを開いた状態のゴム引きパンツ。下部分を上にもってきてボタンで留めます。
しかし、ムレによるかぶれが起きたり、脱脂綿が安定しないことによって経血がモレてしまったりと、その履き心地は決して良いものではありませんでした。
昭和(戦後)~ 現代
1961年、生理用品に大きな変化が起きます。生理用ナプキンの元祖「アンネナプキン」が発売開始。脱脂綿の5倍以上の吸収力があり、使用後はトイレに流すことができとても便利なものでした。吸収紙の他に経血を漏らさない防漏材や、肌に触れる表面材の3種類の材料が使われていました。アンネナプキンはすぐに女性たちの支持を得て爆発的に売れ、短期間で普及していきました。
また、伸縮性と通気性に優れた『パンネット』というナイロン製のサニタリーショーツも同時に発売されました。生みの親は坂井泰子さんという当時27歳の主婦。女性の社会進出が当たり前ではない当時ではスゴイことですよね。
そして「恥ずべきもの」「隠すべきもの」といった生理=不浄なもの、という当時常識であった考えが打破され、「アンネ」という名で口に出して言えるようになりました。革命と呼ぶにふさわしい出来事です。
ここから生理用ナプキンは更に進化し続けていきます。例えば、
1973年、オイルショックによる紙不足をきっかけに、多くの製品の吸収紙が綿状パルプに切り替わっていきました。その結果、厚みが約半分のスリムタイプが誕生することになります。
1978年、初めて高分子吸収剤を使った生理用品が発売。これは自重の50~100倍の経血を吸収し、いったん吸収した経血は外に出さないという性質を持っており、より薄型で十分な吸収力を持ったナプキンが出来上がりました。
現在、従来の生理用品がどんどん改良されている一方で、月経カップや吸水ショーツといった環境に配慮したものも誕生し、ニーズや時代の変化に合わせて日々進化を遂げています。
生理用品の歴史についてのお話はいかがでしたか?
こうして学んでみると、いかに現代を生きる私たちが恵まれているかが実感できると思います。安心安全な生理用品を、いつでもどこでも手軽に手に入れることができる。更には生理についてオープンに話すことができ、月経に対する理解や配慮も広がりつつある。
ですが、これらが当たり前ではない国もいまだたくさん存在します。この環境に感謝しつつ、そういった国々の女性たちが一日でも早く安心安全な生理用品を手に取れることができ、また理解してもらえるようになれば、と祈るばかりです。