【Vol. 11】生理用品の歴史 PART1
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こんにちは!
ここ最近、色々な生理用品が登場していますね。特に近年は女性が生理期間をより快適に過ごせるようにということに加え、環境に配慮したサステナブルで‥.と画期的なものですが、生理用品の歴史を遡ってみるといかに私たちが恵まれているかがわかります。といっても悲しいことにまだまだ安心安全な生理用品が普及していない国々もありますが‥.。
ということで今回は日本の生理用品の歴史について、2回に渡ってご紹介したいと思います。諸説ありますがどうぞお付き合いくださいませ!
日本最古の記録
984年の平安時代、円融天皇に献上された日本最古の医学書の中に、『月帯(けがれぬの)』という月経帯が紹介されており、残念ながらそれ以前の記録は残っていません。ふんどしのような形で、本体と体との間に経血を吸収する布を挟んでいたようです。後の『月経帯』の元祖であったと言われています。しかし高級品だったために、貴族などの手にしか届きませんでした。一般庶民の女性はどうしていたんでしょうね?
江戸時代
「御簾紙(みすがみ)」という和紙をあてて、上から「ふんどし」で固定し漏れを防いでいました。
一方で、農村部などでは綿やススキの穂など柔らかいものをあてがったり、膣に詰め込んでいました。想像しただけでデリケートゾーンがかぶれそうですよね。しかし、そもそも江戸時代の女性は、生活様式上インナーマッスルが発達しており、経血をコントロールできたと言われています。彼女たちはあえて膣トレなんかしなくてもよかったんですね。
明治時代
『月経帯』という現代で言うサニタリーショーツの元祖が外国から伝わります。脱脂綿を外からあてて月経帯というもので押さえるしくみでした。明治時代中頃から医師が提唱し、市販もスタート。やっとここで生理用品が大きく変わったんですね。
↑左側が前です。
とはいえこちらもかなり高価なもので、まだまだ一般庶民の手に届くものではありませんでした。なので多くの女性は手ぬぐいでT字帯というものを作り、デリケートゾーンには紙やボロ布といった衛生的によろしくないものをあてていました。
しかし、体液吸収に効果のある医薬品として脱脂綿が一般的に普及し始めると、紙やボロ布にかわってこの脱脂綿が使われるようになりました。脱脂綿に変わったと言っても、月経帯と違って直接挿入していたので、体に負担が大きいのに変わりはないですよね。
大正時代
これまで輸入に頼っていた月経帯でしたが、ついに国産である『ビクトリヤ月経帯』が登場。価格も輸入品の半値程になり、履き心地もかなり快適になりましたが、当初はなかなか売れませんでした。そこで女学生をターゲットに設定し、女学校の寄宿舎寮母、監督者宛に製品サンプルを送って使ってもらったり、また広告などに力を入れ、販路を拡大していきました。
以降、戦争の始まりと共に生理の対処法もまた変化していきます。